この「子どもの数学嫌い」の克服に挑戦するのが、公益財団法人日本数学検定協会です。同協会が実施している実用数学技能検定「数検」は、幼児から大人まで幅広い世代が自分の数学力を確かめることができるものであり、年間のべ35万人以上が受検しています。
数検の実施は、子どもたちの数学力の向上にどのように寄与するのでしょうか。また、そもそもなぜ数学力を伸ばす必要があるのでしょうか。
日本数学検定協会の専務理事兼事務局長の髙田忍氏と、コンテンツプロデュース事業部の瀬良智也氏にお話を伺いました。
数学は日常生活の中で使われている
――貴会では理数系の人材を育てるための教育に対し、どのような課題感や展望をお持ちでしょうか。髙田氏:岸田文雄内閣が打ち出した「新しい資本主義」には、DXへの投資を進めることが明記されました。現在の日本にはDX推進を担える人材が圧倒的に不足しています。そこで重要になってくるのが教育です。政府は2032年ごろまでに、理系分野を専攻する大学生の割合を現在の35%から50%に増やす目標を掲げています。
子どもの数学力などを測る国際的な調査であるPISAやTIMSSの結果を見ると、日本の子どもは世界でもトップクラスの成績を誇る一方、「算数・数学の勉強は楽しい」「数学を使うことが含まれる職業につきたい」と答える割合は国際平均を大きく下回ります。
文部科学省も、これまで子どもたちに数学を好きになってもらうための努力を重ねてきました。総合的な学習の時間やいわゆるゆとり教育にも、本来は子どもたちが自ら学び、考える力を育成しようとする目的がありました。この方針がより発展すれば、「理系」や「数学」にもっと価値を置く社会になっていくはずです。
すでにいろいろな取り組みが行われていますが、今後世の中の価値観を変え、理数系の人材を育てていくためには、公教育のみならず、民間教育からのアプローチも必要です。私たち日本数学検定協会もまた、その一翼を担えればと思いますし、今後もできる限りサポートしていきたいと考えています。
――そもそも、数学が嫌いな子どもが多いと、社会にどのような影響があるのでしょうか。
髙田氏:多少雑感になりますが、海外の子どもは、日本より数学に対してポジティブなイメージを持っていることが多いです。実際、GAFAなどの世界的に活躍している企業の創業者らの多くが、大学の数学分野で優秀な成績を修めています。
コンピュータ分野などにおいて画期的なサービスをつくるには、ある程度数学の知識を持っていることが必要です。ですので、算数や数学に興味を持たない子どもが増えてしまうと、今後の社会の発展に何らかの問題が発生する可能性もないわけではありません。
――子どもが「数学が苦手」だと思ってしまうのは、抽象的な思考が必要なため、難しそうに感じてしまうからでしょうか。
瀬良氏:確かに小学校高学年になると、抽象的な思考を求める学習内容が増えていきます。抽象的な考え方は重要なので、意図して段階的に導入していくカリキュラムが多いのだと思います。
ただ算数・数学は、私たちがどうやってよりよく生きるかを考えたり、やりたいことを実現したりするためのツールの役割を果たす側面もあり、最終的には日常生活などの具体的な事象に貢献するものである見方が重要だと捉えています。
髙田氏:数学的な思考は、実は誰もが日常生活の中で使っているんですよ。たとえば、スパゲッティを作る過程を思い浮かべてください。麺を茹でる工程と、ソースを作る工程がありますよね。そして、多くの人は麺を茹でてからソースを作るのではなく、茹でている間にソースを作るはず。なぜなら、そのほうが効率が良いからです。
このように、「最終的な解に最短でたどり着くために、何が必要かを判断して実行する思考法」を広義の数学に含めるのならば、日常生活でも十分に数学的な活動をしているといえます。
言い換えれば、人が物事を判断するときには、多かれ少なかれ数学的な思考の下に動いているんです。「数学が苦手」という人は、そのことに気付いていないだけではないでしょうか。
――子どもが数学を苦手とする背景には、保護者自身の苦手意識や、「女の子だから数学は苦手でも良い」といった考えも影響しているかと思います。そのように考える保護者へはどのように働きかけていけば良いでしょうか。
髙田氏:数学は日常生活でもビジネスの世界でも非常に活用されています。数学がいろいろな局面で使われていることや、身につければ今後の人生で役に立つんだということを保護者が理解し、家庭の中で会話してほしいと思います。
これに似た問題として、「文系だから理系の科目ができなくても良い」という考えもありますが、これも誤りだと思っています。数学的能力と読解力は相互に高めていくことが必要です。これからの日本の舵を取るのは、文系的な知見と理系的な知見を組み合わせられる文理融合型の人材です。自分の子どもがそのような人材に育ってほしいと思うならば、ぜひ文系であっても数学を学んでほしいですね。
「数学嫌いをなくす」チャレンジに挑む
――なかなか数学へのポジティブなイメージが広がらない中、数検はどのような役割を果たすのでしょうか。髙田氏:数検は、もともと数学嫌いの子どもが増えてきたことに対して「何とか変えていくことができないか」と危機感を抱いたことから始まりました。当時、すでに英語検定や漢字検定が一定の人気を博していたこともあり、数学においても学習を頑張った子どもが合格するといった成功体験を積ませることで少しでも数学嫌いをなくせるのではないかと考えたのです。
1992年に実施した第1回検定では5,500人ほどの受検でしたが、2015年度にはじめて35万人を突破してから、新型コロナウイルス感染症の影響を受けた2020年度を除き、継続して年間35万人以上が受検しています。これまでの累計志願者数は700万人を突破しており、多くの方々にご受検いただいています。
実用数学技能検定「数検」累計志願者数が700万人突破! | 公益財団法人 日本数学検定協会
公益財団法人日本数学検定協会が発信するニュースやイベント、学習サポートなどに関するプレスリリースです。
この記事をwww.su-gaku.net で読む >ーー数検は学校や塾、家庭学習で普通に学習していれば合格できるものなのでしょうか?
髙田氏:そうですね。数検では、数学領域である1級から5級を「数学検定」、算数領域である6級から11級を「算数検定」、その下を「かず・かたち検定」と呼んでいます。それぞれの検定に受検の目安となる学年などを設定しており、数検は中学生から一般向け、算数検定は小学生向け、かず・かたち検定は幼児向けになっています。
受検者層は主に3~5級を受検する中学生が47.6%と約半数を占めており、そのうち、6割後半から7割後半が合格しています。このことからも一部の人だけが解ける非常に難しい問題が出題されるわけではなく、日頃から学習をしておけば十分合格できるラインに設定していることがわかるかと思います。
――数検を受けるのは数学が得意な子どもが多いイメージがあります。実際はどうでしょうか?
髙田氏:その傾向はあると思います。特に、準2級以上は高校生以上の学年を対象としていますが、どんどん問題の難度が上がり、合格率が下がっていきます。高校3年生向けの準1級になると合格率は22.5%。大学で理数系分野を専攻したい高校生を中心に、数学に一定以上の関心を持っている人が受検していると捉えています。
ただ、近年では1~2級の受検者が増加傾向にあります。これは、2018年以降、国や経済団体から高専や大学などでの数理・データサイエンス・AI教育の充実が提案されてきていることで、その基盤となる教科である数学を学ぶことの重要性について関心が高まっていることが影響していると考えています。
また、数検ではすべての受検者に個別成績票を渡すのですが、その中に内容別成績や評価コメントなどを載せています。この結果を見て自分の得意なところ、不得意なところを理解することで今後の学習にも生かせるようになっています。数学が得意な人だけでなく苦手な人にも、検定を活用することで次の段階に進むことができるんだということは伝えたいですね。
――数検を受けるメリットはどこにあるのでしょうか?
髙田氏:大きくは2つあります。まずは入試での優遇です。中学校から大学の入学試験において、検定結果を評価に含める学校が増えています。現在新しい情報を集約中ですが、大学や短大などでは500校を、中学校や高校では1,000校を超えています(いずれも2022年6月30日現在・協会調べ)。単位として認定してくれる大学も増えてきました。
2つ目がモチベーションアップです。どちらかと言えば、これが本来の検定の趣旨と言えます。もともと数検は、子どもに限定したものではありません。生涯を通して自分の数学力がどのぐらい伸びているか、身についているかを確かめるための指標であり、力を伸ばすためのマイルストーンでもあります。受検する人の数だけそれぞれのメリットがあると思います。
――たとえば子どもだと、「合格した」という経験が嬉しいですよね。
髙田氏:まさしくその通りです。幼児向けのかず・かたち検定では、以前は子ども用にキャラクターが描かれた合格証を渡していたのですが、あるときから大人と同一の合格証に変更しました。「子ども向けのほうが良いのでは」と反対意見もあったのですが、実際に渡してみたら、「やったー、大人と一緒だ」と喜ばれました。
小さい子どもがこのように本格的な合格証をもらえる機会はなかなかありません。数検に合格することで賞状をもらえるのは1つのモチベーションになると思います。保護者や先生方に対しても、子どもたちに意欲的に取り組ませる手段として役に立っているのではないかと感じています。
数学とプログラミングの根底は同じ
――数学とプログラミングにはどのような関係性があるのでしょうか?瀬良氏:小学校では、パソコン端末を使わずにプログラミングの考え方を学習する「アンプラグドプログラミング」を算数の授業の中で行い、プログラミング的思考を伸ばしていくケースが多く見られます。筆算や作図の学習との関連付けが代表的ですが、教育現場でどんどん実践的な指導が生み出されはじめているところなので、今後が楽しみです。
髙田氏:プログラミング的思考が育つと、ロジカルに最適解を考えていくことができます。これは数学を学習する際に求められるものと同一です。そういう意味でも、算数という最初の基礎が非常に重要になってきます。ですので、積極的にプログラミングを学習してほしいですね。
――大人になってから必要となる数学の能力とプログラミング能力も、やはり相互に影響しているのでしょうか?
瀬良氏:たとえば、データサイエンスやAIの世界では、プログラムを組む上で数学的な知識を求められます。データサイエンスではベクトルや行列に代表される線形代数の知識が必要になりますし、AIでは誤差をなるべく小さくするために微分積分の知識が、そのほか、ゲームを作りたいと思っても、虚数といった数学の知識が必要になります。
そこまで専門的な道に進まなくても、プログラムを組むということは、問題を設定してその問題を論理的思考で解決することなので、この力はいろいろな場面で役に立ちます。論理的思考力を鍛える訓練として、数学は最適な手法だと言えます。
――今後、数検をどのように活用してほしいとお考えでしょうか?
髙田氏:ぜひ数学を学ぶときの指標として、数検を使ってほしいと思います。数学の知識があれば、「ここまでの数学の知識があるからこういった課題解決ができる」といったコミュニケーションにもつながるはずです。
人類がここまで発展してきた背景には、常に数学が寄り添ってきました。数学は誰でも使うことができる共有財産です。使わない手はありません。社会の発展のためにも、もっと多くの人に社会のあらゆる場面で数学が活用されていることを認識し、数学の価値を感じてもらいたいですね。