2021年、「ブリタニカ百科事典」で有名なブリタニカ・ジャパンが、「経済産業省『未来の教室』STEAMライブラリー事業」事業者に採択されました。
同社は1768年に初の百科事典を刊行して以来、「百科事典のブリタニカ」として250年もの歴史をつむいできた、アメリカに本社を置く出版社です。
そんなブリタニカ・ジャパンは現在、その知見を活かし、小中高等学校むけにSTEAM教育のデジタルコンテンツを発信しています。
今回は、同社でカリキュラムマネジメント&トレーニング部ディレクターをつとめる天野慧(あまの・けい)さんに、その背景と実際の取り組みを取材。デジタルコンテンツによる学びの可能性や、子どもとのかかわり方への思いをお話しいただきました。
「STEAMライブラリー」に採択された、欧米発の伝統ある企業
「未来の教室」とは、経済産業省が2018年に「令和の教育改革」をめざして立ち上げた学びの場です。ブリタニカ・ジャパンはそのうちの「STEAMライブラリー」の開発を担う事業者に、角川ドワンゴ学園や学研、Panasonicなどとともに選ばれました。
STEAMライブラリーとは一言でいうと、教育機関向けのオンライン図書館。ブリタニカ・ジャパンを含む約20社の参画企業により、中高生がSTEAMの学びを得るためのデジタルコンテンツが公開されています。
経済産業省によると、ブリタニカ・ジャパンが採択された理由は、
- 探究学習の歴史が長い欧米諸国で生まれた、伝統ある企業であること
- 日本語と英語、2言語でコンテンツ制作ができること
- 主に教育機関向けにデジタル教材の開発・提供に取り組み、学びのイノベーションを起こしてきた実績があること
それではさっそく、天野さんにお話を伺ってみましょう。
紙の百科事典を全デジタル化。知見を活かし、教育機関にデジタル教材を提供
ーー本日はよろしくお願いいたします。さっそくですが、御社の現在の取り組みについて伺えますか。弊社は現在、大きく分けて2つの事業に注力しています。
- オンライン百科事典/各種データベースの提供
- 教育機関の授業支援
そして、最近とくに力を入れているのが、教育機関の授業支援です。
ーーSTEAMライブラリー事業も、その一環でしょうか。
はい。たとえば、STEAM教育の実践モデル校である兵庫県立兵庫高等学校では現在、「モビリティの調和」というコンテンツに取り組んでいます。
コロナ禍での移動手段(=モビリティ)をどう形づくるのかは、社会で大きなテーマとなっています。そこで、生徒のみなさんには、自動運転や鉄道、遠隔医療など、移動にかかわるトピックを幅広く1つ選んでもらい、議論してもらいました。
移動の未来を検討する際に優先すべきは利用者の利便性なのか、安全性なのか、はたまた生活の質の向上なのか。単に「AIなどの最先端技術を活用する」だけではない、モビリティについて最先端の角度から迫ったこの授業は、事後アンケートで「授業満足度」の項目で肯定的な回答をした生徒が90%を超え、かなり好評をいただきました。
アンケートの自由記述欄では「STEAM授業を実施している兵庫高校に入ってよかった」「これから入学してくる後輩にもすすめたい」というコメントもあったほどでした。
最初は自分にとってはあまり身近ではないテーマと思っていた生徒も少なくなかったようですが、生徒のみなさん同士で議論したり、調べたりといった活動を通じて、このテーマは自分たち社会の未来を考えるうえで、大事なものなんだと自分ごととして考えるようになったようです。
STEAM教育で「答えのないテーマ」学ぶ楽しさを
ーー非常に興味深い取り組みです。御社は歴史ある出版社ですが、いま注目の「STEAM教育」に参入された理由とは?弊社は約250年前からブリタニカ百科事典を刊行し、アインシュタインやキュリー夫人をはじめとする、世界の第一線で活躍していた方々を執筆者にむかえ、「今知っておくべき最先端の知」を提供してきました。
しかし、時は移り変わり、現在ではインターネットを利用した情報収集が主流となりました。そんな中で、次々とアップデートされていく情報を「発信者」として担っていくためには、百科事典の出版で培った一次情報を、インターネット上で最新のものにして発信する必要性を感じました。
インターネットは便利な存在ですが、中には真偽があいまいな情報や、明確に誤りである情報もあります。今の子どもたちは、信頼性のある情報をつねに取捨選択しなければいけません。そこで、「何か調べ物をするときには、まず、このソース(情報源)に当たろう」と頼られる存在になるべく、2012年には紙の百科事典の出版をやめ、オンライン化に踏み切ったんです。
ーー御社ならではの強みを活かされたんですね。
そうなんです。
ただ、形は変わったとしても、「確たる知」を提供するという弊社の使命に変わりはありません。気になったことを自ら調べ、新たな知に触れる。STEAMライブラリーのコンテンツ制作事業者に応募したのも、子どもたちの好奇心を刺激したいという気持ちからでした。
実際に経済産業省 浅野大介さんも、弊社のコンテンツについて
「ブリタニカさんを採択したのは、探究学習のメソドロジーが確立された欧米社会で生まれた教育企業さんであること、そして日英両言語でコンテンツを制作いただけることが大きいです。各教科が融合した学びを英語で届けることによって、教科ごとの縦割りの壁を壊すきっかけになる」
と期待をお寄せくださっています。まだ探究学習の歴史が浅い、かつ高等学校では教科担任制である日本において、弊社のコンテンツは「横断的な学びを広げる」とお考えいただいているようです。
STEAMライブラリーはおもに中高生向けですが、彼らの日常って、受験勉強がメインなんですね。もちろん受験勉強にもいろいろな形式がありますが、その多くはどちらかというと、「すでに答えが決まっている問いを、いかに速く正確に解くか」を求めるものとなります。
教材制作でご協力いただいている、筑波大学の柳沢正史先生(国際統合睡眠医科学研究機構 機構長・教授)と、わたしたちがSTEAM教育を通じてどんな学びを子供たちに提供するべきか議論をさせていただき、アドバイスをいただきました。柳沢先生は、睡眠に関する研究を世界的にリードされている、まさに第一線で活躍されている研究者です。
議論の中で、日本の教育では与えられた問いに取り組む受験方式の勉強が多いのではないかとご指摘いただきました。一方で、私たち大人が社会人として取り組んでいるプロジェクトや、それこそノーベル賞を受賞するような研究は、答えの定まっていないテーマや解決すべき大きな問題に対して、自分たちで新たな問いを立て切り口を定めて取り組んでいきます。
こうした第一線の探究者が取り組んでいる「ほんものの学び」に中高生のうちから取り組むことが重要だと、柳沢先生からアドバイスをいただきました。先生からのアドバイスを踏まえ、わたしたちのSTEAM教材では、受験勉強とは異なる「ほんものの学び」を提供することを大切にしています。
そのため、我々大人が自分なりに試行錯誤して身につけたような「答えのないテーマ」を学ぶ楽しさを、STEAMライブラリー事業を通して伝えていきたいと考えています。
ーーSTEAMライブラリーのコンテンツは、アメリカやイギリスと共同で制作されているとか。
はい、光栄なことに東京大学生産技術研究所や筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構の先生方をはじめ、著名なAI研究者であるトビー・ウォルシュ先生や、欧州宇宙機関(ESA)など、国内外の最先端の研究機関にもご協力いただいております。
こうした機関とパートナーシップを組むことで、中高生の皆さんに、世界の第一線で実際に研究されているテーマの魅力をダイレクトに感じてほしいなと考えております。
ーー「英語版」のコンテンツを用意しているのも、そうした理由ですか。
そうですね。良くも悪くも……と言っていいのかはわかりませんが、やはり今、世界から発信される多くのコンテンツや論文が英語なんですよね。せっかくの情報も、英語で発信しないと、コンテンツ自体を発見してもらえないデメリットがあるのが現状です。
実際に、私たちが「STEAM」に関連する、とあるキーワードを調べると、日本語のサイトがほとんど出てこなかったことがありました。最前線の科学用語や技術を深堀りするには、英語のサイトを調べる必要があるのだと痛感させられた出来事でした。
ですから、もしも生徒さんが、STEAMライブラリーで弊社の日本語版コンテンツに興味をもたれたら、ぜひ同じコンテンツの英語版を見て、手がかりとなる英語のキーワードを探してみてほしいのです。
ーーなるほど。はじめから英語に精通していなくとも、日本語版に興味をもってから英語版を読むことで、重要なキーワードを見つけやすいんですね。
おっしゃるとおりです。翻訳ソフトで日本語にすることも可能ですが、あえて英語で探究を進めることで、もっと先の世界を知ることができます。
そうした意味もこめて、「グローバルな知見」にアクセスする入口になれたらと、日英両言語で発信しております。
新たな教育を安心して実践できるようサポートするのが使命
ーーこうした取り組みのなかで、感じておられるハードルはありますか。現場の先生がたをどうサポートするか。これが一番の課題、かつ大切だと感じている部分です。
じつは弊社がSTEAM教育で題材っている研究テーマは最先端であることが売りである一方で、最先端すぎて、中高生の皆さんからすると若干高度でとっつきにくい内容であることも少なくありません。ところが意外にも生徒さんたちは、「社会の未来のために考えなくてはいけないこと」だと知ると、進んで取り組んでおられます。
一方でこの事業を進めるにあたり先生方に聞き取りをさせていただいたのですが、「新しい学びにどう立ち向かえばいいのか」と戸惑っておられる方が多いようです。というのも、生徒さんと懸命に、真面目に向き合っておられる先生が非常に多く、ゆえに「教えようと」してしまうそうなんです。
ーー「先生の方が、生徒よりくわしく知っていなければならない」という思い込みがある、ということでしょうか。
そのようです。でも、探究学習って、生徒さんが調べながら学んでいく学習方法なので、本来、先生が答えを言ってはいけないと思うんです。質問がきたら、「先生もわからないな。一緒に調べてみようか」などとコーチング的に問いを立てて、生徒さん自身に答えを導かせる必要があるのではないかと思います。極端な話、先生は生徒さんが試行錯誤する姿を、見守り、励ますのが先生の役割ではないかと思います。
しかし従来の教育は、先生がたがきっちり授業準備をして、すべての質問に答えるのが当たり前でした。探究学習のようなやり方だと、先生方は、まるでご自身がサボっているように感じてしまうのかもしれません。
いろんな学校に出入りしているからこそ知っているほかの学校の事例を紹介したり、「こういうやり方はどうでしょうか」と励まし、ただでさえお忙しい先生がたのご負担を減らして、安心して生徒の探究に向き合える場づくりのお手伝いをするのが、私たち事業者の役目だと感じています。
理想は江戸時代の「寺子屋」。生徒一人ひとりが探究できる環境を
ーーアナログとデジタル、いずれにおいても豊富な知見をおもちの御社ですが、今後「デジタルによる学び」をどう変えていきたいですか。そうですね。弊社のSTEAMライブラリーのコンテンツは学校様で使っていただくことが前提ですが、現状、先生が学習目標や段取りを立て、生徒さんがその範囲内で取り組む……そうしたケースが、どちらかというと多い印象です。
しかし当然、あるテーマにたいして興味をもつ事柄は人によって違います。たとえば同じ「モビリティの調和」というテーマでも、Aくんは心理学、Bさんは数学、CくんはAIという角度から調べたり、考えたりしたいかもしれません。
そうした、異なる分野を調べたからこそ生まれる“知のコラボレーション”を大事にしたいですし、「生徒さんそれぞれが自身の関心を掘り下げられる」環境を、デジタルだからこそつくっていけたらと思っています。
現在指導にあたられている兵庫高校の波部先生も、
「インターネットを介して有益な知識や情報が簡単に手に入る時代になり、『学びの在り方』を再定義する、新たな段階に入ったのではないかと考えています。ブリタニカさんは大学などで研究されている最新のテーマを扱っておられ、コンテンツの数が多く、バリエーションも豊富。その点で非常に有効性を感じている」
とのコメントをお寄せくださりました。先生はさらに、「もちろんこれまでの教科中心の学びも大切ですが、学びの本来の形は探究心。『なぜ?』をきっかけに、物事について調べたり、行動したりすることが、彼らの新しい可能性をつくると考えています」とおっしゃり、弊社のコンテンツは生徒さんのモチベーション向上に大きく寄与できるだろう、とお考えくださっているのだそうです。
ーー1人1台のタブレット端末があるからこそ、それが可能になるんですね。
はい。理想は「寺子屋」です。寺子屋って、ひとつの空間なんだけれど、一人ひとりが違うことに取り組んでいるでしょう。低学年も高学年も入り混じって、ときには先輩が後輩にアドバイスをする。
今だと、せっかく1年前に同じことを学んだ、一番のよきメンターになれるはずの先輩がいるのに、学年の壁で分かれてしまうじゃないですか。しかも、授業のすべてを先生が取り仕切るために、先生がたへの負担も大きい。
もちろん寺子屋にも先生が主導していた例はありますが、そうではなく、先生が手綱(たづな)をにぎりつつも、基本は生徒同士で学びあう。良い意味でみんなが“自分勝手に”学べる環境を、我々のコンテンツを機につくっていけたら、というのが夢です。
いま求められる「生きる力」、STEAMの学びで育みたい
ーー素晴らしいお話をありがとうございます。最後に、今まさに小中高生のお子さんをもつ保護者の皆さんに向けて、メッセージをお願いできますか。「STEAM」の始まりは「STEM」で、STEMの意味は
S:Science(科学)
T:Technology(技術)
E:Engineering(ものづくり)
M:Mathematics(数学)
です。
STEM教育が注目されたのは、こうした分野でGoogleやAmazon、Microsoftのような企業が成功を収めたから、という点が大きいです。そのため、AIのような未来ある分野を発展させるには、プログラミング含め「STEM」に長けたハイテク人材が必要であると、ここ10年ほど言われてきました。
一方でじつは、それだけでは不十分だとわかりました。それが「A」の部分、「Arts(リベラルアーツ)」です。
リベラルアーツは、物ごとをもっと知りたいと思う力や、他人の個性を理解し協働して生きていく力のことを言いますが、先ほど申し上げたようなハイテク企業で実際に活躍する方々は、じつはリベラルアーツの力がずば抜けていたんです。それでSTEMに「A」を加え、STEAMの学びが大切だと言われるようになったんですね。
そのためお子さまには、AIドリルや問題集を解くだけじゃなく、周囲と協働してひとつのことに取り組む経験をぜひさせてあげてほしいな、と思います。
我々も百科事典で教養や探究を深めてきた会社として、そうした経験ができる場を増やし、互いを傷つけず、人に配慮しながら幸せを見つけられる人材を育むサポートをしたいという思いでいます。
ーー天野さん、本日はありがとうございました。
ブリタニカ発の質の高いコンテンツを「STEAMライブラリー」で見てみよう
「一人ひとりが未来を創る」をコンセプトに掲げ、ブリタニカ百科事典をもとにしたオンラインデータベースや、STEAM教育のデジタルコンテンツを発信するブリタニカ・ジャパン。
教育現場における「使いやすさ」を追求し、さらにSTEAM教育の大きな特徴でもある「横断的な学び」を、文理融合のコンテンツで届けています。
「経済産業省『未来の教室』STEAMライブラリー事業」では、日本語と英語で180種類のデジタルコンテンツを提供。お子さまのワクワクを引き出すテーマがきっと見つかるはずです。
なお、現在進行形で導入中の兵庫高校は、同社のデジタルコンテンツを「学生の進路選択に大きく寄与してくださった。同様のテーマを英語で学べるのも魅力」(波部先生)と称します。
新しい学びのプラットフォーム「STEAMライブラリー」は、現在もなお、教員の方々や生徒さんの声を取り入れつつ更新されています。ご興味のあるご家庭や教育機関様は、ぜひサイトを訪れてみてくださいね。